ぱぴみーよん

中島健人はブランドだ

-大切なことは全て“中島健人”が教えてくれた-

11年前のある日、

人生を変える出会いをした12歳の少女のお話です。


少女が見ていたのは、

「ザ・少年倶楽部」。

友達に紹介され、とりあえず流し見。


そんなある日、

少女の目に飛び込んできたのは

一瞬に数多の表情を詰め込み、

この世の全ての光を集める

1人のアイドルでした。


彼が歌っていたのは「シンデレラ・クリスマス」。


“君は時計を見るたびに”


この一瞬で、

少女の、私の人生が変わりました。


それまでただのテレビっ子だった私。

AKB48や嵐など、真似して踊ってたりはしたものの、

お金を出して楽しむ、

いわゆる“オタク”をしたことはありませんでした。


地方住みの少女は、少クラ以外に彼を見られる番組はありません。

(あの当時TVerがあれば....)

携帯電話すら持っていません。

(てかLINEでさえまだ無かったような...)


とりあえず、家PCで「中島健人」→検索。

そこからのスピードは一瞬。


初めて買ったCDは、「悪魔な恋/NYC」。

初めて買ったDVDボックスは、「スクラップ・ティーチャー」。

プリ画像の検索が毎日の日課

DSで画像加工して遊んだり、

月一回Myojo買って、他アイドル誌は立ち読み。

情報の授業中に過去現場レポを漁り....。


そんなこんなしている間に時は経ち、

2011年9月29日 SexyZoneデビュー発表。


(情報過疎の少女は、次の日のWSにふと映った健人くんの笑顔でその事実を知った訳ですが、)

そうこうしてたら今日までもう10年。


そんな風に始まった私の“オタク”人生。

その出会いは私の一生が始まった瞬間でした。


私は、

健人くんに出会って“夢”が出来ました。

“生き方”を学びました。


地方住みオタク少女にできた“夢”

『東京に住みたい』


子供の夢かと思うかもしれません。


でもこの夢だけが、

やりたいことも、なりたいものもなかった少女にとって、

生きる希望でした。


そして、健人くんが教えてくれた“生き方”

『夢を現実にする徹底的な努力』


健人くんは自他共に認めるストイックな人です。

自分が思い描く「中島健人」の人生を創るため、

常に前向きです。


徹底的に、

自分の追い求める“自分”でいることをやめない姿に、


“健人くんみたいに生きたい”


私はそう思いました。


そして突っ走ってきました。

テスト勉強、高校受験、大学受験、就職活動、全部その気持ちで頑張れました。


節目だけじゃない。

人との関わり方も教えてくれました。


いじめいじめられを繰り返していた少女に、

そんなことはくだらない、と教えてくれたのも

健人くんの存在でした。


健人くんは“自分を持つ”強さを教えてくれました。

人に合わせることが大事じゃない、

なりたい自分でいることが大切だと。


少年時代

クラスの目立つグループに憧れていた健人くん、

転校後

キャラ設定間違えクラスで浮いていた健人くん、

ジャニーズに入り

学校で周りの目と戦った健人くん、

デビューの多忙な時期に大学受験した健人くん、

舞台・ライブ・リリース・映画撮影を

同時にこなしていた健人くん、

どんなに仕事が忙しいであろう日も

ブログを更新してくれる健人くん、


いつの日も健人くんの存在が、

私の人生の道標でした。


あの日、

中島健人”という生き方に出会った少女は、

今、夢だった場所、東京で働いています。


健人くんがきっかけで出来た夢、

たった一つの夢を、叶えることができました。


健人くんが、

健人くん自身の夢を叶えていく度、

きっと沢山の人が健人くんに出会い、

きっと沢山の夢を見て、叶えていく。


少なくとも、夢を叶えた今の私はとても幸せです。

それはきっと、

健人くんが「中島健人」を全うする姿を

いつも見ているから。


健人くんがいるから私がいる、のではなく、

健人くんの教えてくれた生き方で私は生きてこられたよ、

そんな気持ちです。


夢も、生き方も、

大切なことは全て健人くんが教えてくれました。


11年間ありがとう。

これからも、ずっとありがとう。


#中島健人 #SexyZone #沼落ちブログ